子育てに、仕事に、家庭のことに……日々たくさんのタスクに追われるひとり親は、自分のことをついつい後回しにしがちかもしれません。でも、ひとり親にとって健康であることは何よりも必要なこと。そして、あなたはこどもにとって世界でたったひとりの大切な存在であると同時に、あなたにとってあなた自身も、かけがえのない存在です。自分を大切に、体をいたわることの大切さを、ひとり親でありがんサバイバーでもある青木さやかさんと、ひとり親のセルフケアを啓発する「シングルマザーズシスターフッド」発起人の吉岡マコさんに、語っていただきました。
吉岡:最近はご体調はいかがですか?
青木:今はもう、自分が「がんサバイバー」だと言われなければ忘れてしまっているくらい、おかげさまで元気にやっています。
吉岡:それはよかったです。青木さんは2017年に肺腺がんであることがわかったそうですが、当時のことを振り返っていただけますか。
青木:41歳のときに先輩に誘われて人間ドックを初めて受けまして、そのときに肺腺という肺の奥のほうの細胞に影が見えると指摘されました。「がんかもしれないし、違うかもしれない」ということで経過観察になったのですが、2年後にやはりこれはがんだということになり、手術を受けることになりました。
吉岡:自覚症状などはなかったのでしょうか。
青木:全然無かったですし、自分ががんだなんて当時は信じられなかったです。
吉岡:人間ドックを受けていなければわからなかった?
青木:そうですね。告知もあっさりとしていて。診察室に入ったら医師の先生が「ああ、これがんですね、どうしますか」とパソコンの画面を見ながら言うんです。がんの告知って別室に家族を呼んでするようなイメージがあったので、驚きました。
吉岡:告知を受けて気分が悪くなってしまうようなことはなかったですか。
青木:先生があまりにも軽やかに言うのと、経過観察を経ていたのである程度覚悟はできていたこと、初期のがんだということで、その場では自分を保つことができましたが、やはりショックで、いろいろなことが怖くなりました。手術も怖いし、肺のがんだとすると声が出なくなるのかなっていう恐怖もあったし、どれぐらいで仕事に復帰できるのかな、お金のこと、こどものこと、自分の体のこと……。今まで色づいていた風景の色が、全部無くなってしまうように見えました。病院を出て車でひとりになって、1回だけ泣きました。
吉岡:ご自分のなかで恐怖心がすごく記憶として残っているのですね。
青木:泣いたのは単純に病気が怖いとか、自分の人生がどうなるのだろうという心配からですが、その後に現実的な心配がやってきました。経済的なこと、娘の行き場……。
吉岡:そうですよね。お仕事ひとつ取っても、この先どうするのかとか、いろいろな段取りの心配がありますよね。ちょうどそのころ、舞台をされていたとか。
青木:はい。がんが非常に初期だったので、舞台が終わった次の日に入院しました。1週間弱の入院でした。
吉岡:舞台の稽古をしているときや本番中もいろいろなことを考えないといけないかと思いますが、どんなお気持ちだったのですか。
青木:気分は晴れなかったですね。「これが最後の舞台になるのか」なんて考えたりして。余談ですが、「崖っぷちにいるから演技がうまくなるかと思ったのに、ならないんだな」なんて思ったりもしました(笑)
自分ががんであるということをできるだけ隠したい気持ちもありました。母が病気だったので母にも知られたくなかったですし、世間にも知られたくなかったです。知られると仕事が減るのかな、心配されるのは嫌だなと思っていました。
吉岡:最初にがん告知を受けたときに娘さんが小学2年生だったということですが、娘さんにはがんのことを伝えたのでしょうか。
青木:娘には伝えませんでした。まだこどもだというのもありましたし、自分のことでいっぱいいっぱいだったというのもあります。
吉岡:確かに、伝えたときの娘さんのショックや、それに寄り添うケアのことを考えると……。年齢的には仕方がなかったと思います。入院するときなどはどうされていたのですか。
青木:娘には「地方の仕事でしばらく出張に行くから、パパと一緒にいてね」と伝えていました。元夫にも連絡して、「これぐらい入院しなきゃいけないから、娘を預かってほしい」と伝えました。夫が出張のときなどは、娘の学校のママ友数名に預かってもらうこともありました。事務所のマネージャーや保険会社、娘の学校にも連絡をしました。
吉岡:ひとり親の生活って、母ひとり子ひとりで、自分が倒れたらどうしようっていう緊張感がずっと続いてると思うんですけれども、まだお子さんが小学校2年生という段階で病気の告知を受けて、すごく変化せざるを得なかったこともあったかと思います。
青木:娘とふたりで暮らしていて、特に娘が小さいときは、もうどちらかが体調を壊したらガタガタガタって全てが崩れるという状態でした。さらにがんになって手術を受けることになって、大人がひとりしかいないのは本当に手が足りない、大変なんだという経験をしました。誰か頼れる人が一緒にいたらなとも思いましたが、そういう人もいませんでしたし。ママ友に娘をお願いするときも、そのころは誰かにもたれかかるよりも、ひとりでがんばったほうが楽なんじゃないかという気持ちがあり、非常に淡々とお願いしていましたね。
吉岡:がんを打ち明けられたママ友や、他の方たちはどんな反応でしたか。
青木:ショックを受けていましたが、私に寄り添うような対応をしてくれました。だけど、寄り添う気持ちを受け止めると、私が泣いてしまいそうになるから、(心の扉を)バサっと閉めて「じゃあよろしくお願いします!」と、できるだけ短い時間しか関わらないようにしていました。自分が崩れてしまわないようにしていました。
吉岡:娘さんにはどんな思いを抱いていましたか。
青木:2回手術を受けたのですが、闘病していた頃はやっぱり娘に向き合えた時間が少なくて、そのことは申し訳ないことをしたなと思っています。娘の感情に寄り添えなかったなと。中学に入った頃から取り戻して、今娘は高校1年生ですが、一緒にお風呂に入ったり、学校まで送っていったり、今のほうがコミュニケーションを取れていますね。
吉岡:小学2年生ぐらいのときって、ママとずっと一緒よりも、お泊まり会みたいなのがあって、お友達の家に泊まれるのって結構ワクワクすることだと思うので、(入院中にママ友に娘を預けたことが)かえって良かったってポジティブに考えることもできますよね。価値観が形成される時期に、いろいろな家族に接する貴重な経験ができたんだ、と。
青木:そうだといいなと思います。私は娘にはいろいろな人の手を借りて育ってほしいという思いがあるので、娘を応援してくれる人を増やすために、娘の周りの人たちと交流しているという部分が私にはあります。同じマンションの人や、親戚などに助けてもらえる人でいてほしいなと思っています。
吉岡:ここからは健康やセルフケアについてお話を伺いたいです。青木さんはがんと診断される前はご自身の健康にどんな風に向き合っていましたか?
青木:全く向き合っていなかったです(笑)。こどもの頃から、健康に関してはそんなに不調がなかったので。体力もありましたし。だから、誘ってもらわなかったら人間ドックも多分行ってなかったです。なんにもやってなかったですね。
吉岡:お忙しいというのもあったでしょう。
青木:目の前の生活を回していくだけで精いっぱいでした。働かなきゃ、稼がなきゃ、娘のことをしなきゃと。自分を大切にはできてなかったですね。自分が何を食べたいのかとか、何が好きなのかとかも、感じないようにしていました。
私からも吉岡さんに聞きたいことがあります! 吉岡さんはご自身もひとり親で息子さんを育てられ、今はひとり親のセルフケアを広げる活動をされています。きっかけは何だったのですか?
吉岡:私は1998年に出産しました。出産に向けてはウォーキングするなどすごく準備していたのですが、出産というものが人間の体にすごくダメージを与えるということを知らなくて、産後にビックリしてしまって。産後ケアも探しましたが、当時はなく、じゃあ自分でやるしかないなと思って、ヨガの先生に来てもらってヨガをしたり、弱った自分の体をリハビリしたりするような取り組みを始めました。マッサージを受けるなどの「受け身のケア」だけでなく、有酸素運動で筋力や心肺機能を回復させる「取り組むケア」のプログラムをつくり、NPO法人を立ち上げて全国に広めました。
息子も成人し、私自身も子育て世代ではなくなったので産後ケアの団体は新たなリーダーにバトンタッチし、ひとり親にも来てもらえる制度をと、今の団体をつくりました。産後ケアの活動時、ひとり親で参加してくれる方がとても少なくて。私も気持ちがわかるのですが、集まったとき、みんなが配偶者の話をしていたらやっぱり孤立感がありますよね。シングルマザーだけが集まってできるエクササイズがあったらいいのではと思ったのです。今ではオンラインで、補助金をいただいて無料にして。そうしたらすごくニーズがあって、たくさんの人に参加してもらっています。
青木:ひとり親のためのセルフケアの必要性を感じたのですね。離婚したときに、「あなたの自由で離婚したんだから、こどもぐらいちゃんと育てなさいよ」とたくさんの人に言われて。そうすると自分は頑張らなきゃという気持ちになってしまっていました。
吉岡:どうしても忙しくて自分のことを後回しにしてしまうというのは、ひとり親の傾向だと思います。それに、自分のために時間を使ったり、セルフケアしたりすることに罪悪感を持っているひとり親の方はとても多いです。私たちの講座の参加者にアンケートを取ると「セルフケアをしてもいいんだと気づいた」と回答する人がたくさんいます。
ひとり親に向けられている偏見って、ひとつは「可哀想」「気の毒」といった、腫れ物に触るようなものがあって、もうひとつは「あなたの都合でひとりになったんだから」と責められるような目線と、二種類ある気がします。それらを受け取って内面化してしまい、頑張らなきゃと思ってしまう人は多いです。
青木:わかります! 頑張りすぎだって思います。
吉岡:頑張らなくていい、こどもをケアする存在だからこそ、ひとり親だからこそ、自分をケアすることがとても大切なんだよということを、メッセージとして私たちは発信しています。団体の名前を「シングルマザーズシスターフッド」と名づけたのは、ひとり親同士のゆるいつながりが元気を与えてくれると思ったからなんです。深い話はしなくていい、自分以外にがんばっているひとり親がいるんだという気配を、オンラインケアの画面上で感じるだけでもいいんです。
青木:当時はひとりの方が楽だったし、孤立していることを知られたくはなかったけれども、人と関わって初めてそれが和らいで楽になっていったなっていう感じもありました。一歩踏み出すってことは、すごく重要なのかもしれないですね。
ところで、吉岡さんお勧めのセルフケアって、何かありますか? 私はがんサバイバーなので、サバイバーかつひとり親として、いいセルフケアがあれば。
吉岡:セルフケアっていろいろな方法があって、自分にあった方法が一番いいと思います。そのためには自分を知ること。自分が何をすると快適で、何をすると元気が出るのかを知ることがすごく大事です。自分の体を動かしてみると「腕がここまでしか動かない」とか、「首がポキポキいう」とか、わかりますよね。まずは体を動かしてみて、ここ硬いな、もっと柔らかくしたいな、もっと体力つけたいなと思ったら、走ってみるとか、ジムで体を動かすとか、してみたらいいのではないでしょうか。
青木:ケアっていうのは体を動かすことで、それが心にもつながっているのですね。私、娘の卒業式ですごく泣いたんですけれど、それは「よくここまで来られたな」という気持ちからでした。当時は本当に大変で、いま振り返ると孤立していたのですが、「大変だ」と声を上げる体力もなかった。ある程度元気じゃないと、自分がつらいと声を上げることもできない。だから、そのためのセルフケアなのかなと思います。私もセルフケア、今からでもやってみようと思います!
吉岡:セルフケアのことでしたらいつでも聞いてください!「続けなきゃ」と思わず、「楽しいから続いちゃう」というケアがいいと思います。
青木さやかさん
あおき・さやか 1973年生まれ。タレント、俳優、エッセイスト。名古屋でフリーアナウンサーとして活動後、上京しお笑い芸人になる。「どこ見てんのよ!」のネタがブレイクし、バラエティ番組に多数出演。2017年と2019年に肺腺がんの手術を受けた。現在は高校生の娘を育てながら、ドラマ、舞台、講演会などで活躍中。著書に実母との確執や半生を綴った『母』(中央公論新社)、『お金まわりを見直したら
人生が変わった』(日経BP社)などがある。
吉岡マコさん
よしおか・まこ 1972年、埼玉県生まれ。東京大学文学部で哲学と身体の関係性を、同大大学院で身体運動科学を専攻。98年に息子を出産、0歳のときにひとり親になる。2008年、産後ケアのためのNPO法人「マドレボニータ」を設立。20年、「シングルマザーのセルフケアとつながりを支援する」を掲げるNPO法人「シングルマザーズシスターフッド」を設立、代表理事に就任。